箸の原点
一番古い箸は「桧の箸」
約3,500年前に中国で発生した箸は、漢時代に一般化しました。日本で発見された最も古い箸の考古学的遺物は、七世紀後半の飛鳥板蓋宮および藤原宮跡から出土した桧の箸です。
平城京跡からは、奈良時代初期と中期にかけて大量の木製の箸が発見されており、その中には桧や杉などが含まれます。また、島田遺跡からはピンセット型の竹の折箸が出土し、奈良正倉院には二本一組の銀箸と「鉗(かん)」と呼ばれるピンセット型の挟弧(きょうす)があります。これらの遺物はすべて七、八世紀のもので、六世紀以前の遺物が発見されていないのは、木や竹などの植物性の箸が保存されにくかったことや、一般に使われていなかったためと考えられます。
一方で、文献資料には興味深い記述があります。日本の三世紀の様子を伝える『魏志倭人伝』や、七世紀初頭の様子を記した『随書倭国伝』などの中国側の史書は、日本人の食生活を手づかみで行っていたと記しています。しかし、八世紀初頭に成立した日本側の史書『古事記』や『日本書紀』では、神代の昔から日本に箸が存在していたことを強調しており、これらの記述には大きな相違点があります。
この相違は、弥生時代に中国から伝来した箸が、当初は主に祭祀・儀式用の祭器として使われ、民衆の日常の食器ではなかったことによります。民衆の食生活は中国の史書が指摘するように手食様式が主流であり、七世紀に入り、古代律令国家建設の過程でようやく箸食様式が新しい中国文明のシンボルとして広まりました。そして、大化の改新から藤原京・平城京造営に至るまでの間に一般化しました。
和銅五年(712年)に成立した『古事記』には、箸がたびたび登場します。これは、天神地祇を祀る祭器として、また民衆の食器として、当時の支配層にとって箸が重要視されていたことを物語っています。八世紀に入ると、日本では本格的な箸食生活が始まり、長い手食生活から脱却しました。
神々の箸「伊勢神宮の桧八角箸」
日本の祭りは、神と人との“まつわりあい”を象徴するもので、神人和合の精神が根底にあります。神迎え、神人合一、そして神送りという一連の祭りのプロセスにおいて、特に重要なのは神々に御饌(みけ)を供え、神と人が同じものを共に食べることです。
直会の意義
直会(なおらい)は、同じ釜で煮炊きしたものを神も人も共に味わう行為であり、神に捧げたものをいただく「おさがり」ではありません。この供え物は、神と人間のコミュニケーションの媒体として重要です。祭りは一度、世俗の諸関係を断ち切り、直会の慣行を通じて再びそれを回復します。御饌を供える献饌(けんせん)と神と人が共食する直会は、あらゆる祭りに共通する儀式であり、その本質を成しています。
神と人を結ぶ箸
御饌の供進に先立ち捧げられる箸は、擬人化された神が使用するという意味において、神と人との結合手段として最高のものです。神が使う箸は、神の依代としての意味を持つため、古代人は箸を祭器として崇めました。
現代の箸習慣
現在でも、節供や祭日に使用する箸は、特別に清い霊木から新たに作る風習が各地に残されています。正月や祝儀の場合、新しい箸を用意する習慣が一般化しています。この箸習慣は、古代の神祭りにおいて、神霊の依りたまう神木や霊木を使って新しい箸を作り、祭器として御饌と共に神に捧げた伝統の名残りです。
伊勢神宮の桧八角箸
伊勢神宮では、特に神宮桧で作られた八角箸が供えられます。この箸は、神が新穀を召し上がるためのものであり、神の依代としての役割を果たしています。家の祭り、村の祭り、国の祭り、ハレの日には、新しい箸が作られ神に供えられる伝統が今も受け継がれています。
日本の祭りと箸の文化は、神と人との深い結びつきを象徴しており、その歴史と伝統は未来へと続いていきます。伊勢神宮の桧八角箸は、その象徴とも言える存在です。
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晴れの日のハレ箸 - 箸や楓 (hasiyakaede)
「衣服に晴れ着があるように、お箸にも晴れの日に使う晴れ箸」があってもと考えています。日本には、お正月にはじまりクリスマス、その他にも誕生日、結婚記念日など、それぞれの晴れの日が考えられます。箸や楓の思いは、普段着と晴れ着があるように、箸にも普段使いの箸とそんな晴れの日に使う「ハレ箸」があってもよいのではということです。
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